3周年を迎えて

2020年10月20日に産声を上げた当店は、おかげさまで本日で3周年を迎えることが出来ました。
(写真は開業時の1枚。右から地球規模で考えろのやなさん、夢みてなんぼのリッキー、夢を語れ小松のくにちゃん、そして僕)

なお2ヶ月も夏季休業をしてる店に、周年を祝う資格はないと思いますので、特にイベントは開催せず、お祝いの花なども辞退させて頂きます。

振り返ると開店前日に逃げ出しそうになったり、開店当日に店舗売却の話を持ち出したりと前途多難でしたが、こんな店でも来店してくださるお客様と、仲間と出会いだけには恵まれてるおかげでなんとかやってこれました。
本当にありがとうございます。

開業当初は本当につらくて毎晩泣いてるような状態で、大好きなHawaiian6さんや阿部真央さんの曲を聴いて、なんとか乗り越えていたような感じだったのです。

3年以内での廃業率が驚異の約7割の計画性の甘さや努力や魅力不足が目立ってしまうラーメン屋という世界で、自分でもよく続けてこれたなというのが率直な感想ですね。

その中でも大きかったのが、開店直後に中学生の頃からの友人が亡くなって、告別式に参列して約30年ぶりの再会となる棺の中の友人を見た時に、「ちゃんとやってないと、また怒られちゃうな」と思ったことなんです。

それからは営業に臨む意識も変化して、例えどんなにつらくとも、生きてるだけで丸儲けなんだなって気づけて、特にラーメンを作ることがどんどんと楽しくなっていったんですよ。

しかし時は流れて、今年の4月に僕の至らなさだけが原因で、多くの皆さんの怒りを買う結果となり、5月6月と売上がどんどんと下がり続けていく渦中にいた時に、僕は元気も失いました。

それをお客さんに指摘されるまで気づかず、例えばラーメンを「不味い」と言われるのは好き嫌いがあるので仕方ないとして、「元気がない」と指摘されるのは、厨房に立って食品を提供する人間が言われてはいけない言葉だと思うし、先に旅立った友人が教えてくれたことも希薄になっていたことにも気づき、最近では越谷市で最も元気な店と自負できるように、いつでもスイッチを入れて営業に臨んでいます。

この3年間で奇跡らしい奇跡は一度も起きなかったですけど、星の数ほどある飲食店の中で、当店を選んで来てくださるお客様がいることが僕にとってはまさに奇跡ですし、それがこれまでの当店の軌跡です。

なお開業前の計画では3年間の期間終了となる今日で営業を終え、僕の故郷の東京都東大和市で凱旋開店する予定でしたが、件の今年4月の店名変更が主に大きく作用し、これからも大袋で営業を続けていくことになりました。

だから故郷での開業は、しばらくは封印ですね。
埼玉に引っ越してからも3年が経過し、どんどんと埼玉や越谷のことも好きになったから、これからも大袋の景色の一部になれたら嬉しいです。

まだまだやり残したことと、やりたいこともいっぱいあるから、ずっとずっと道の途中。

4年目もよろしくお願いします!

2023年10月20日
中島保